何からどう書いたらいいのか分からないけど、紙に書き出したって人と何処までおしゃべりをしたってキーパンチしてなかったなって、絡まった紐を解くような作業を続けて続けて、解けてきた紐を何処に仕舞っておこう。
別れの意味など知らずに今まで生きてきていたことにすら気が付かず、はじめてその感覚や姿がはっきりとして、私は大人になるんだろうか。ずっと子供でいられたのは、なんにせよ彼のおかげだ。怖い、そう思う私を引き裂くようにそうすべきだそうするしかないのだという予感が働いて、後生遭わないだなんて、やっぱり片足が無くなったみたいで、本当に一部だったのだと、それは私も同じなの。
痕跡なんてそう簡単に消せるものじゃないだろう。物なんか全部捨てればいい、けれど、例えば唇の潤いや涙の跡や笑顔も温度も、ふとした天候の似かよりや物音によって、白い壁を見つめたまま、ドアの影からそっと隠れ出てくるだろう。だから私は全然違う方法で、信じることをやめない。何も歪ませないで。どんなに私が頑なで我儘な決断をしたとしても、ボタンを押してデリートなんて、はじめから出来っこないのだから、あるべき場所にあるべきようにしまっておくつもりだ。
あれもこれも欲しいんじゃない。ひとつだけでいい。だからそうする。
意識の粒々は拡散していく。それを拾い集めて、言葉を取り戻さなくちゃいけない。書き続けるのは、私にとって言葉だけが、対立する二つのもの、純粋さと社会性、生と死、喜びと悲しみ、まるまる引き受ける為の唯一の道具だからだ。
物語が終わるにせよ、あんなに美しく無邪気なことは二度と無いだろうし、なんて計り知れないほどの感謝だって後悔だって憎しみだって楽しさだってずっと憶えている。どんな未来にせよ、信じてるし捨てはしない。いつかまた物語の渦中で、全然違う形で線が交差するまで、私は私らしく生きていかなきゃならないし、どんなに酷く澱んだって変わらず生きるだろうと疑わずに信じる強さが必要だ。迷ったり方位を見失ったら、教わったことをあったことを思い出せるように、お互いがそうあれるとは思わないけれど、私はそうすべきだ。

信じられませんが終わった人生はまた始まってゆく。歩くんだ、今まで通り躓いて泣き喚いて振り回されて転びながらでも、軽々しく。

まだわからないこと