始発を待っている西九条のマンションの7階にて、私は泥酔したカップルがタクシーを降りて5分以上キスしているのを眺めていた。あの二人は何を思ってタクシーに乗りあの交差点で降りてキスをしていたのだろう。目が悪いので年頃がいくつぐらいの男女なのか、私にははっきりと認識はできなかったが、18、9の男女だ素敵だと思う。

マンションからは難波のビル群の赤い光も梅田のビル群の赤い光も見えて、無数の赤く光るサインや、人々の生活、垣間見える夜の情景が次々と変化を起こす。深夜といえど世の中が動き続けていて、まるで止まらない様子を目にしながら、逃げ回るのもそろそろ終わりにしようと思った。昨晩は思うところ、大人になるにあたっていかに無駄を切り捨てながら遊び続けるのか、そういう話を、よっぱらいながらもしていた時に、私は無駄を愛し続けるし、生産性や利害で人と付き合うよりも、目に見えないものわ信じる生き方しか出来ないのだなとおもった。

無数の名前も知らない人々が生きているなんてことを、すっかり忘れて、私は帰るべきところへ帰って、同時にいるべきところへ、いようと決意したような瞬間。時折何の根拠もなく瞬間的にやってくるこんな予感は、様々な要因に寄ってもたらされながら、決定打などないのだと毎回私の目を覚まさせる。毎度悲しみより快楽が勝る。

5時を過ぎたら、私は帰ったまま、戻らないだろう、その決断を一つ自然に意図せずとも降りかかってくるようなことが、生きてるってことと何が違うのだろう。朝は来ないようで、今のところ必ず来る。目を覚ましたまま迎えるのは久しぶり。