前回纏まった文章を書いたのは2012年9月23日ということでこの8ヶ月弱の間に私は名字が変わり、引っ越し、やたらと多くの人と出会い知り合い、関係性の中に放り込まれ楽しかったり悲しかったりいらいらしたりうまくいったりいかなかったり、慌ただしい日々を過ごしておりました。お元気ですか。

多くの人と出会う中である人には「チャーミングのかたまりみたいなひと」と評されあるモロッコ料理屋の店員には「StrongでSmart」と評されあるひとには「我が儘で子供で理解できない」と評され、そういった内面のあるところまでをすぐに曝け出してしまう(ように振る舞える)ので私がどんな人間かはさておき人は判断するなということ。それでもその評価がある程度どうでもいいのはそれは望まれているから提供している私であることと、本質的に、人に好かれたいと言っておきながら嫌われるかもという恐れは楽しそうのそれに勝たない人間であるからだと思う。

ときどき例外的にとても好きな人にだけは臆病になる。私がいつもの私らしくなく臆病になっているならそれはとても特別扱いされているということで、でもそんなことを説明してみせたって野暮ったい。格好悪いし子供みたい。

冒頭でも記述した通り私は結婚して、19歳のときからずっと一緒にいた人と同じ名字になるだけで何も変わらないと思っていたけれど、環境や二人の関係性ではなくて私自身の中でこの契約の重さに少しおののいている。後悔などちっともしていないし、後生二人ともおなじような「無邪気さ」だけで結婚しよう!なんてそんなすてきなことはないだろう。だけどおののく紙切れの重さ。私は自分の「家庭」てものの像が全く無いことに気付かされて、いかに特殊な家庭で育ったのか、そのくせひねくれもせず反抗もせず成績も素行も悪くなく、すきな友達に囲まれて比較的好きなことをして、それでも貪欲に音楽や映画や文学にごく若いうちから熱中していたのは隙間を埋めるように。まあまだ適当に逃げ回っててもいいかなと思ってあちこち遊んで紛らわしたり、しばらくはきっと試行錯誤。変わらないのは愛だけだ。

子供のように踊り続けたい、まだ大人になりたくないなんて