日々過ごしているうちにあっという間に12月がやってきていて、18歳と19歳だった二人は25歳になったりして、積み重なったのか流れていっただけなのかまたぐるぐる回るのか、空間と束ねられて脳みそに蓄積されているものの引っ張り出そうとしてもなかなかうまく把握できない6年間という膨大で一瞬の時間、時間、時間、に思いを馳せたりしつつ、調子も戻ってきて頭ははっきりしてるしあっちこっち遊び回ってもまだまだ、寧ろ年輪なんか費やす気もなければ落ち着かず落ち着かせずに押したり引いたり繰り返して常に駆け引きを求める様相。そんなにすぐに何でも答えを出すつもりもなくて溢れ出した言葉とか感情にいつまでも身を任せていたい。鳴り止まない音楽でいつまでも踊り続けられる気になるようなそんな感じ。で、次の日夕方まで寝るみたいなのを3年ぐらいのサイクルで繰り返しているようなこの度のこのじんせい。
つい先日私を育てた祖母が癌だと父から電話があって街中で「冗談じゃない、やめてよ」と泣き出して、人はいつか死ぬって小さいときから言われてはいるけれどそのいつかって永遠にこないいつかなわけで、狼狽して、そのあとああなんか私でかいサークルの中にいたんだとはっと自覚、なんだか家庭を持つなんてことが想像もできなかったのにそういうことなのかと納得したりして、生活は続いてゆくんじゃなくて続けてて、私はこれからも続けるし続いたものの中にいるし誰かに続けてもらうのかな、ああーそーゆーでかいループの中にいるのねーということをぼんやり考えた。我が家にとってあの人こそ生活の人で、代えがきかないものをそういうものを築くってことはなんだかすごいことのような気がして、私もお正月になぜかエビフライを作るようになるのだろうかと考えが飛躍した。
なかなか留まれないし思ったようにできないし、どこかへ常に押し出される不可思議などこから働いているのかけれどもそこにあるなんか抑圧めいたサムシング、それはたぶん空気てやつだったりすることもあるだろうけどそれだけでもなさそうな、のおかげで逃げ回されるなあやだなあとは思ってて、だからこの、その目で追いかけて見失わないで捕まえて捉えてたいしそうしてほしい。私の目はカメラのように誰かを生かすし、その目で生かされてる。映画のように、記憶のように、時間や空間を切り貼って行き来して、映画のように生きるのか人生が映画のようなのかいやいやその間で自分の足で立ってよ!そういうことが大事っぽいこの度のこのじんせいー
あとは最近はまじめに仕事してます。はあ、あれこれ書いたらさっぱりしたーではまた来年!よいお年を。