正しさで怒られるたびに、正しさを持てる羨ましさを思うけど

同時に私は嬉しいとか悲しいとか、楽しいとかの基準で人に何かを伝えるしかないし、そうしたいなと思う

小難しい言葉でも簡単な言葉でもそれはきっと端々に滲んで伝わる、と信じてる

つたう水滴みたいな、そういうの

FUJI ROCK FESTIVAL 2018①

試したことのなかった試み「お酒を飲んでブログを書く」いざスタートします、いくぞ〜

 

2018年はひっさしぶりの2日参加。娘を説得できたのと、同じ日程で友達と車で行けそうなのと、宿も確保できそうなのと。Kendric LammerとDirty Projectorsどちらも見なければならんかったので、土日参加。

 

金曜深夜、12時過ぎにOCATんとこのセブンで待ち合わせ、タケダという美大卒の女が急に同乗することになって謎。湊川のIC出て梅田に差し掛かったあたりで一応言うじゃん「みんなチケット持った?」あすかちゃんが「ファッ」て言って羽曳野まで取りに戻る。おまえまじか。高速乗ったのが2時前。6時で長野。デニーズで朝食食べたら全員寝始めて、地獄の山道を梶くんが一人運転したらしいことだけは確認。湯沢ついて買い出しにいつものコメリ行ったんが11時!14時半ゲートという体たらく。だけど楽しい。会場入ってグリーンでジョニー・マー。イイ。わあ!かの有名な、There Is a Light That Never Goes Outヨ〜てかんじ。ところ天国までの間にさかもとさんといさむさんと遭遇する。えびちゃんとマツモトくんと合流しつつ雨降ってくる。ホワイトのASH聞いてたらあーーこの曲好きーShining Light!満足。このあとケンドリックまでの記憶が曖昧なんだけど、写真がないから雨降ってたんだと思う。なんとかゆりえさんと合流して念願の!ケンドリック!ラマーーーー!!!!!もう強すぎて、ひたすら一緒にラップしまくってたら終わったあとゆりえさんが「私も練習してくればよかった…」と後悔していた。ただひたすら踊りラップし堪能。時代に合う・合わないの価値観でなく強いもの。ただこの時点で結構風も雨もやばい。私覚えてるよ、この台風、ジョンダリ。普通に台風。前に進むのにも苦労しながら一旦宿に戻るとトロさんがいて、おーっ!とか言ってめっちゃ安心した記憶。何も食べてなかったのでマツモトくんと梶くんと豪雨の中ちっさいスーパーみたいなとこでおにぎりとカップラーメン買って、もう全員まともに寝てないし食べてないしただライブは良かったしという、極限状態の滅茶苦茶なテンションで、人はこういう時間を共有して友達になるんよなあと思った。車中泊の2人と別れ無事宿で寝る。

FUJI ROCK FESTIVAL 2014〜2017

なのでフジロック覚書をしようと思ってたら数年分たまってて、途方もないんだけどここまできたら書き残しますよすごく雑に。というのもこの間は1日参加しかしていない。あんまり記憶もない。

 

2014

新しく仕事を始めたばかりで出張であちこち行かなきゃなんないし、女だらけのアクセサリー卸し営業職というわけで圧力のかけられ方もなかなかだし、ほんとに直前まで行くか迷った挙句、ほんとに直前に東京までの夜行バスに乗って、川崎でトロさんに拾ってもらい(この時点で財布をスられ7万円を紛失)、ハルさんとカナさんと合流し、ボロボロになりながら苗場に到着する。帰りたい。川崎なんか来るんじゃなかった。でもみんながお酒を奢ってくれる。ありがとうございます。私も苗場で財布を落とした友人にはたくさん奢ってあげようと思います。何を見たか覚えてないなあ、とにかくARCADE FIREだけは見たいなと思ってフジに行ったので、見て、めちゃくちゃによくて、泣いたと思う。深夜まで天気良く、ガンガン遊び踊り飲みまくって、明朝また東京まで戻って、新宿のベルクで朝ごはん食べて、夕方家に着いて二度とフジロックなんか行かねえ、と思った記憶。

 

2015

2014年の末に妊娠してしまい、それはほんとにあらまあびっくり!や、ちょっと待ってくだいよ〜とか思ってる間にみるみるうちに腹はでかくなり結婚式や婚姻届なども一応済ませ、フジロックの前夜祭の最中緊急帝王切開により切腹中だったため不参加。

 

2016

娘は1歳になり夫にはわりと育児に積極的に参加してもらっていたし、とりあえず行かなきゃいけないかなという長年の習性と、毎日の育児と変わるからだときもちをどこかで止めたかったのと、去年の切腹が保険適応の緊急帝王切開だったため出産一時金がもどったり保険がたっぷりおりたりで、往復新幹線で弾丸1日参加。始発で家を出て、14時ごろには苗場に着いたはず。朝まで遊んで次の日15時頃には家に着いたと思う。

着いてすぐ大森靖子見るかと向かったらリハで天体観測うたっててそれが一番よかった。wilcoBECKも超よかった。SQUAREPUSHERもちょっとみたけど最高。タバコ吸うのを少し復活させた。夜中TODD TERRYでしんどー!と思いながらただもう踊るしかないタイムだったことは覚えてる。朝4時くらいからシャトルバスの列にならんで、越後湯沢から始発乗って、上越新幹線の記憶が本当にまるでない、爆睡。

 

2017

夫実家が石川なので前々日くらいから私が先に連れ帰り娘を慣らしてから2人で1日参加。色々手配して配慮して必死で行った苗場で1秒も雨が止むことがなかったというクソフジロック

早朝4時くらいに石川で拾ってもらい関西から一緒に来てたかもちゃんふるまんさんと夫と合流。たのしい。雨も降ってない。仲のいい友達。たのしい。越後湯沢でえびちゃん拾って、トンネル抜けたらもう降ってたと思う。会場ついてすでに心折れかけながらかもちゃんとCOCCOみて、後ろで大合唱、めちゃくちゃイケてないブスだったと思う。すっげーたのしかった。ただ雨すごい。AVALANCHESは「誰?」てやつがイケイケで歌ってて誰?でもいい。雨がすごくなってくる。マーキーに避難したい気持ちでLEMON TWIGSみる。普通に雨すごい。コーネリアスチラ見して、雨すごいな〜と思いながらオザケン待機。僕らが旅に出る理由。わっと泣き出した私をかもちゃんがうははは!どしたん!みたいな、突っ込むけど穏やかに見守る。雨もすごくなってくる。特別な曲。LCD待機してる間にすごい雨。諦める。2曲くらい遠巻きに聞こえてくる。雨、遠ざかるLCD sound systemの演奏。雨やばい。24時間営業してるお風呂に入って、着替えて、アイス食べたら、なんでこんな雨に打たれなあかんの?と思ってしまい、一度そう思うともう止まらず、雨も止まず、会場に戻らず。雨はほんとうにクソ。

現実主義的な理想主義者でいたい、というかそれしかやり方がわからない。空を見て飛び立ってしまえるような衝動と感覚は捨てがたい。大勢が下らないって吐き捨てる小さな色や、私の拙い声、瞬間の衝動、身を任せていきていくこと、移ろう世界の静止点。
自分のことや明日の事考えるよりも先に体が動くようなフットワークの軽さで、負けて勝つようなしたたかさで、シリウスの輝きで、叫び出したいような青空の高さで、始まりの日と変わらない色温度で、花束のようないい言葉で、偶然に気付く感受性で。運命て言葉の大袈裟と、溢れかえるような愛と、誰かの間に働く引力で、もっともっと!

 

https://music.apple.com/jp/album/pull-my-hair/10193947?i=10193464

5年!一瞬で飛び越えてしまいましたが最近またなんとなく、息苦しい他SNS以外で何か書きたい、そーだブログ書こうかな、また新しいん作ろうかなって思ってたらここあるの思い出して、思い出してというのは嘘でたまたまブックマークに残ってたから辿り着けて、だいたいどれもパスワードおんなじだからログインできて、わあ5年!ひっそりと誰かの何年もログインしてないアンテナにだけ更新の通知がされたりするなのらそれはなんだか今欲しい自由さな気がしたのと、突然5年時間を飛び越えるのも映画のワンシーンのようでいいなと思った。ので、ただいま、どうも、お元気ですか。はじめまして。


読み返してたらまあ離婚する前後はとてもとても追い詰められてるし、10年も前のフジロックの日記に「タケエさん」でてきて一瞬思い出せなかったりするし、この言葉すごくいいなってのもいくつかあったり、誰かの言葉だなってのも、ああこれいつもフジロックのあとなんか書きたいな〜てなる生き物なんだなと自分の変わらぬへんな習性に気がついたり、だからここ数年のフジロック日記を一気に書き、それ以降また更新されない可能性もなきにしもあらず、私はまあ相変わらず、愛と引力!てかんじで好きに生きている。

夏の真ん中
淀川沿いで酔っ払いながら花火みてワインの瓶を割って
実家から送られてきたおいしいワインは河川敷に流れ、幸いそれは人混みのなかの誰にも迷惑をかけることはなかったし、
私は笑って、新しいワインを買いにいかせた
花火は延々上がり続けて、
私は以前なら飽きちゃう1時間ちょっとの眺めるばかりの時間がふと当たり前のように過ぎたことに
自分が変化していってるのを感じる
派手に上がったらぱっと消える
わー、ていう歓声と子供の声
そわそわした夏のいいところをぜんぶ持ってる
額が汗ばんでるのをかんじながら、特別な季節なんだっておもう瞬間
ひとりの時間
夏の朝凪のいろは驚くほど鮮やか



蝉が鳴き止む
東京から来た女の子はパリ帰りでラデュレの紅茶をくれた
ピンクの箱に入ったマリーアントワネットと名付けられた紅茶は花の匂いがしてコーヒーとはちがう解れていくのがわかる
滅多に怒らないわたしが怒って、そのままにするなんて奇特な夜
翌朝仲違いの理由を正した
単純に生きることの難しさに直面し続けてる
朝高架下のケーキ屋さんがシャッターを上げショウケースに出来上がった商品を綺麗な手付きで並べているのを見ながら階段をのぼるとき、あんな風に丁寧に生きたいとおもう
自分がどんどん変わっていく
そのたび思い出す



秋のはじまり
窓を開けると阪急電車が走っているのが見えて慌しい
みんな行く先々があるのかとおもうと生活の数にくらくらしてくる
私にもまた行く先がある
電車の中ではいつも考えてる
車窓からはちらっと前の家がみえて、
解れてない色々とまだ向き合わなきゃいけない
ひねもす悩み揺らぎ続けたあとに出る単純明快な予感と答えを待ってる
電話に出たら泣いて会いたいと喚いてしまいそうで出られなかった
近所の居酒屋はいつもがやがやしていて、店に入ると「おかえりー」って挨拶する




夜長
母に会って意識の粒つぶは拡散、もうしばらく会うべきじゃない人なのかもしれないという予感が
こんなにもはっきりする悲しさ
私は求めていたものがあった
もし、に囚われすぎている
調子の悪さ続いて9月はいつも本当にクソ
何かしているとふと心に死という概念が浮かんで消える
パパは心配して会いにくる
水族館に行って、もう少しこどものままでいたいとおもう、身体はいくらおとなになっても
「なによりもだいじだ」
私はその愛にどう応えよう



秋が終る頃にはきっと少し事は終る
なんとなくはっきりすることも増えるとおもう
わからなくていいこともわからないまましまうこともちゃんとやり方がわかってくるはず



冬が深くなれば多分取り戻す頃だとおもう
何年か自分をやってきたからなんとなくわかる
その間を数知れぬ人に助けられるんだとおもう
感じることを感じ続けるしかない
毎日を過ごして話し続け考え続ける
ふと軽くなって、ぐるぐる巻いたマフラーに埋れながら、これでいいんだとどこかで思う
そのときはきっともう1人ではない
孤独であることと孤立して生きることは違う
子供が欲しいって思ったのは、それが偶然を必然に変える大きな変化で私には唯一の方法と思ったから
点々と広がる光は偶然と必然との間で点いたり消えたりしながら
私はいつかひとつを守り続ける
誰かとどっかで、それは途方もないような気がするけど、案外君だって私だって簡単にできることだとおもう
もういちど寄りかからないで愛することが大人になるってことなら
もう少し時間と考えが纏まって
春には春らしくなにかはじめたい